家族と過ごさなければいけない休日もやはり疲れる

 

仕事は疲れる。

平日、仕事が終わるとほっとする。やれやれ、今日もめんどくさい仕事が終わった、と。


休日は、仕事はしなくていい。

とはいえ、家族の相手をしなければいけない。

いや、決して家族と過ごしたくないというわけではない。

でも、結局相手のペースに合わせて、自分の行動が制限されるということには変わりない。

子供が小さいうちだけだろうか。

たしかに、自分が子供のころを考えてみても、勝手に友達と約束して、外またはその友人の家で遊ぶようになってからは、特に父や母を拘束するようなことはなかった。

たまに家族でお出かけするようなイベントはあったけれど、それはある程度(1週間くらいかな)前から計画されているもので、むしろ、子供の私を拘束するものだった。


さて、大人の、今の私の状況について。

休日、心が休まらないという話。

いや、正確には“休まりきらない”と表現した方が正確だ。


仕事は、それはもうストレスフルなので(業務内容が特段シンドイというわけではないが、好きでもない赤の他人と関わらなければいけない、というのがストレスなのだ)、仕事がないということそれだけで素晴らしいことだし、休日万歳、ではある。


さりとて、休日にも自由はない。

朝も、好きなだけ寝ていられない。

家人が起き出し、朝ご飯を食べながら、子供たちが騒いでいる。

専業主婦の妻は、平日働いている私をねぎらってくれているのか(そうだと信じたい)、私を叩き起こすようなことはなくゆっくり寝させてくれるのだが、それでもあまり遅く起きて、すっかり朝の身支度や掃除が終わった状態のリビングに顔を出すのはバツが悪い。

その“バツが悪い”と考えてしまうことそれ自体が、休まらないのである。

普段働いているんだから、休みの日くらい、気兼ねなく、心の底から自由に好きなだけ寝させてほしいのだ。

妻に「ちょっと体調がすぐれない」と言えば、好きなだけ寝させてくれるのだが(子供に風邪かなんかをうつされてはたまらない、というのがメインの理由だろうが)、そんな小細工無しに、休みの日は自由でいさせてほしいのだ。


別に外で働くことこそがしんどくて、家事育児はらくちんだ、と言いたいのではない。

この私個人にとって、外で働くことが相当なダメージを受けることなのだ。

それを何とか次の仕事の日までに回復するため、休日は全力で自由に休ませてほしい、ということなのだ。


傍から見れば、私は恵まれている方だと思う。

遅く起きても文句は言われないし、子供も小さいので肉体的にしんどい家族サービスは(今のところ)発生していない。

肉体はある程度は回復できているはず。

ところが心に関しては、いちいち妻の心うちを探って行動しなければならない休日は休まらないのだ。


むしろ平日の方が、任された仕事さえやっておけば、行動は自由に決められるので、楽な部分もあるくらい。


子供が大きくなって、かつての私のように好き勝手に遊びに行くようになれば、私にも真の休日が返ってくるのだろうか。

まだまだ先は長い・・・

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