とりあえず現場と同じこと、がプロフェッショナルのモチベーションを殺すんだろう

聞いた話も前職以前での体験談も含みますが、会社って無駄が多いですね。
と、唐突に言っても首肯する人が多いであろうと想定できるくらい、日本の会社は無駄が多い。
(外国や外資系で働いたことがないので、実は意外に外も無駄だらけなのかもしれないけれど)

建設業や製造業で、現場が安全第一で色々な施策を行うのはわかる。大事。
現場の安全、危険予知ミーティングやお祈りなど。
過去事例を学び、意識を高めて安全に現場を運営することは優先順位最高レベルであろうことは想像に難くないです。
が、それを本社部門にまで展開するってのはどういう了見か、と。
端的に言って無意味。時間の無駄以外の何物でもない。
どんなに危険を予知したところで、コーポレート部門の人間が現場で仕事をすることはないし、
部署異動があったらそこでやればいいだけの話。
全く現場に出ない事務の人たちが、本社の神棚にお祈りして、昔現場に出ていた技術系役員から安全講話を聞くことで、安全な現場が実現するんですかねぇ。

こういう状況を見聞きするに、日本の古い業界では、会社の人間がとにかく“同じことをやる”ということそれ自体に意味を置いているんだろうな、と考えるわけです。
部署や職種、担当業務の違いはさておいて、同じ経験をしないといけない、という一種の強迫観念のような執念を感じます。
過去のある時期においては、それでも十分会社が回っていたのかもしれないけれど、そういう牧歌的な時代は過ぎ去って、それぞれがプロフェッショナルとして与えられた業務を遂行している状況で、こんな無駄に割くリソースがあるのか。
ただ会社で時間を過ごせばいいと思っている一般職的な事務員や派遣社員であれば、上記のような安全関係の無意味会議はらくちんな休憩時間として有意味かもしれないけれど、職種は何であれそれぞれの専門職は、こういう自分のリソースが無駄遣いされることに非常にストレスとやるせなさを感じるのではなかろうか。
現に自分は感じていますし。自分がやる意味のないことにかかわずらされている、という感覚はある種の脱力感すら生みます。

それぞれのプロフェッショナルがそれぞれの職場で遂行した成果をまとめて会社として成果にするのが経営の役割であって、非常に非効率だけどとりあえずみんな同じことやっておけば共通認識が生まれてそれぞれがうまく調整して成果になるだろう、なんていうのは経営の怠慢以外の何物でもないでしょう。

生産性の低さの要因は、それこそ一概には言えないとは思いますが、ここに通底する“物事の本質を捉えない”態様も小さくない要因の一つだと思っています。

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