なんでもまじめに取り組める人

大学生や、サラリーマンをしていると、いやしていなくても、
「こんなのまじめにやっても意味ないから、適当にやっておこう」という場面、たくさんありますよね。
というかほとんどの場面がそうかもしれない。
この資料適当でいい。この会議は出ていればいい。こんな研修は意味ないから寝ておこう、等
一応優等生だった子供のころは、割とほとんど与えられたものにまじめに取り組んでいた記憶があります。
子供のころと言っても小学校低中学年くらいまでで、高学年~中学~高校になるにつれて、上述のように手を抜く割合が増えていったんですが……
とはいえ、受験勉強だとか、就職活動だとかはまじめに取り組んでいました。
それ以外の部分は、段々と適当になっていく。
あの子供のころの純真なまじめさはどこにいってしまったのか……

思うに、成長に従って経験値が増え、今から取り組むこと。与えられたことへ取り組んだ結果の実入り、リターンがある程度予測できるようになったから、なのかなと。
そのリターンに対して、自分の”リソース”をどれだけ割り当てるか、という問題。
受験や就活はリターン極大なので、子供のころと同じ熱量で取り組むけども、出せば単位がもらえるような大学のレポートや、査定に関係ない社内研修など、とりあえず出ておけばリターンが確保できるものは、リソース=まじめな取り組み、を出し渋る。
合理的と言えば合理的だし、悪いことではないように思います。

ただし、そこで余らせたリソースを、その分リターンの見込めるものに有効活用すれば、の話。
せっかく出し渋ったリソースを、そのまま腐らせてしまうのであれば、一見大して意味のないように思えるレポートや研修にまじめに取り組んだ方が、得るものはあるんだろうな、と思います。

そこで適当な口実を作ってリソースを腐らせる=サボるか、とりあえずでもまじめに取り組むか。
その場のリターンは大して変わらない(むしろサボった方が効率的にすら思える)けれど、塵も積もればで将来大きな差になってしまうのでは、と合理の名のもとにサボりがちな自分の反省まで。

とはいえ、そんな簡単になんでもまじめに取り組めれば苦労はないですけどね。

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