募金させられると、きっと心が死ぬ

前提として、いくら私でも、募金が必要とされるような状況の人たちには大いに同情するし、1日でも早く平穏な生活に戻ることができればいいですね、と思っています。

と、前置きしたうえで。
全国各地の職場できっと行われているであろう、募金のカンパについて。

私は、募金やボランティアをしないことにしています。
知り合いが被害にあったなら、その見舞金を拠出したり、なにかお手伝いはするかもしれません。それは自分の中では、明確に、知らない多数への募金やボランティアとは違う行為にあたる、という感覚がある。
(投入されるリソースは同じであることはわかっていますが)

なぜ募金をしないのか?
それはもう単に「気が乗らない」で終わってしまう話なんですが、もう少し考察してみようかな、と。

ほんと子供のころから大嫌いなんですよね。
街中でやっているだけなら無視すれば済む話なので、「まぁ勝手にやってくれ」なんですが、問題は学校や職場で、同調圧力モリモリで行われる場合。

これに屈してしまうと、きっと怒りよりも、心が死ぬ。
やりたくないことを強制させられたのならば、怒りが沸き立つだろう。ある意味活力にもなり得ると思う。
でも、強制力・従うべき根拠のないことを、同調圧力のようなもやもやとしたものに屈して、やってしまったのなら、それは心が死ぬのだ。自分で自分に失望するのだ。

だから私は募金もボランティアもしない。
やる時は心で納得した時だ。
ここでお金入れるところを見せておいた方が後々得だろうという打算であろうが、心からの同情であろうが、納得しているならOKだ。気持ちよく過ごせる。

毎日心穏やかに過ごしたいものです。

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