貯金ができない人=散財でMPを回復せざるを得ない人、なのではないだろうか。

 

貯金ができない人=散財でMPを回復せざるを得ない人、なのではないだろうか。

いやまぁ私のことなんですけどね。


独身時代は、貯金するという習慣がなく、転職してまともな給料をもらえるようになって、男一人分の生活費より余った分が見かけ上の貯金額になっているというありさまでした。

貯金しているという感覚はなく、当然目標金額などもない状態。残高がプラスであれば大丈夫だよね、みたいな。

上で散財、と書きましたが、自分の感覚では散財しているわけではなく、必要な消費をしていたらお金があまり貯まらないなぁ、という感覚でした。

旅行だとか車だとかのお金のかかる趣味はなく、じゃあ何に散在していたんだというと、今でも答えに窮します。

結婚して、お小遣い制(世紀の大失敗だったが)を導入されても、状況は同じ。あれば使ってしまうので残高は増えない。

(家計的にはお小遣い制で大正解だったと、妻に、家計の口座残高を聞いて思う。)



思うに、旅行や車などに大金を使う、という方がお金を意識して使っている分まともであるのではないか。

仮にムダ金になったとしても、失敗としてしっかり認識できる。

なにかの事情で節約しなければならなくなったとしても、何に大金を使っているかが明白なので、(簡単ではないかもしれないが)その旅行や車を切り詰めれば、お金は手元に残るはずだ。


もうね、ナチュラルにお金を使ってしまうのはなぜか?


自己分析するに、日常生活の精神疲労を散財によって回復させようとしているのでは、と思い至った。

なにかとてもショックな出来事があってヤケ買いする、ということではなく、慢性的な精神的ストレスに対する防御反応としての日常的な無駄遣い、なのではないか。

収支がプラスにならないということは、日常のストレスと散財によるMP回復、の値がトントンである、ということに他ならない。

散財せずとも済んでいる人は、収支はプラスに傾いているはずだ。


とにかく日常がストレスなのだ。自分が仕事というものにいかに向いていないのか。

能力でぶん殴る、ではないが、なんとなく仕事はこなせてしまっているだけに気付けなかった。

大きなミスをしたりというわかりやすいストレッサーがないが、私の“日常”は、確実に私の心を蝕んでいたのだ。

それが、気づかない散財、無意識下の防御反応、なのであろう。


今の日常におけるストレスをまかなうには、今の可処分所得では足らない、ということだ。

それは私個人の収支を見れば明らかだ。


お金を貯めるには、日常のストレスを減らすといいかもしれない、という話。

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